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大阪地方裁判所 昭和50年(ワ)1427号 判決 1986年7月14日

原告

桶谷隆壽

奥龍雄

馬場利春

(右三名は中道光則、重里忠夫及び昼馬正の訴訟承継人である。)

原告

中野繁一

山下喜七郎

中武夫

右六名訴訟代理人弁護士

加藤正次

井岡三郎

市橋和明

宿敏幸

鈴江勝

右原告桶谷、同奥及び同馬場訴訟代理人弁護士

辻口信良

山尾哲也

被告

亡東重次訴訟承継人

東重弘

被告

亡東重次訴訟承継人

東美代

被告

亡東重次訴訟承継人

東重法

右三名訴訟代理人弁護士

田宮敏元

宮﨑乾朗

坂東秀明

京兼幸子

森英子

右被告東重弘訴訟代理人弁護士

山川富太郎

上田裕康

仙頭幹夫

伊丹浩

右被告東美代及び同東重法訴訟代理人弁護士

大石和夫

藤田健

中澤洋央兒

山之内明美

主文

一  被告らは、原告らに対し、別紙物件目録記載の土地につき、昭和三九年三月一〇日大阪法務局尾崎出張所受付第一五七二号をもつてされた昭和三〇年二月二二日売買を原因とする泉南郡泉南町別所から東重次に対する共有持分移転登記を、東重次の共有持分を四三六分の五七とする共有持分移転登記に錯誤を原因として更正する登記手続をせよ。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  本案前の答弁

一 本件訴えを却下する。

二 訴訟費用は原告らの負担とする。

2  本案の答弁

一 原告らの請求を棄却する。

二 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地という。」)は、権利能力なき社団でありかつ入会団体である別所、兎田及び上之郷各町内会の構成員らが共同して所有する土地である。

2  右各共有者の本件土地に対する共有持分は次のとおりである。

別所町内会の構成員 四三六分の五七

兎田町内会の構成員 四三六分の九三

上之郷町内会の構成員 四三六分の二八六

3  本件土地所有権の来歴に関する事情は次の通りである。

(一) 本件土地は江戸時代以来、別所村(現大阪府泉南市別所部落)、兎田村(現同市兎田部落)、上之郷村(現大阪府泉佐野市上之郷部落)の三か村の住民が雑木、雑草等の採取や植林等を行う入会地であつたが、明治初期に右三か村住民に対しその戸数を対象に平等に払い下げられ、右三か村住民が入会地である本件土地の地盤所有権をも共有するに至つた。

(二) 本件土地は右三か村住民により古くから慣習に従つて利用、管理等が規律されていた。これを成文化したものとしては、明治四二年一〇月六日に申請され明治四三年一月二六日に当時の大阪府泉南郡長によつて認可された「共有山取締規約書」がある。

(三) 各村(但し各村在住の本件土地に対する入会権者の団体即ち入会団体を意味する。以下同じ。)は、本件土地を管理するために各々三名ずつの共有山管理委員(以下「管理委員という。」)を選任していた。各村の管理委員は、規約または慣習に基づき、各村の総会で多数決により選任され、本件土地の管理、立木処分等の業務を執行し、対外的に各村を代表する権限を有していた。

(四) 現在、各村は各々町内会と名称を変え、別所、兎田、上之郷各町内会となつている。但し本件土地に対する入会団体としての右各町内会は昔からの各部落の住民を構成員とし、外部からの転入者を含まないので、各部落の全住民で構成される自治会としての町内会とは別個の団体であるが、実際には兎田、上之郷両部落の全住民中外部からの転入者はわずか一パーセントであるので、便宜右二個の町内会の総会は併せて開催され、その総会において多数決で後者の意味での町内会の代表者である町内会長と前者の意味での町内会の代表者である管理委員とを選任している。

4  本件土地に対する別所、兎田及び上之郷各町内会の持分割合が前記2のとおりである根拠は次のとおりである。

(一) 明治初年以来前記三か村の本件土地の共有者たる入会権者の数は明確に異なつていた。ちなみに明治四二年一〇月六日当時における右三か村の戸数は、別所村一五戸、兎田村七五戸、上之郷村三一一戸であり、右全戸が本件土地に対する共同所有者であつた。そして、各村がいずれも格別特権を有しない同じ農山村民により構成されていることからすれば、各村の権利戸数に従い共有持分が決定されるのが理の当然である。

(二) 本件土地に対する各村の権利割合が別所村四三六分の五七、兎田村四三六分の九三、上之郷村四三六分の二八六であることは旧来の慣習であつた。通路の修繕、植林費用等の本件土地の管理に要する費用は右割合によつて各村が負担し、植林した樹木の売却代金等の本件土地からの収入は右割合によつて各村に分配されていた。

(三) 昭和五年一二月二八日に三か村代表者のほか別所村と兎田村の属する新家村の村長、上之郷村長、立会人大阪府技手等が会同して、本件土地を右三か村に分割する話し合いが行われたが、その時の話し合いでは各村の取得歩合として別所取得分四三万六〇〇〇分の九万三三八四、兎田取得分四三万六〇〇〇分の八万四〇七二、上之郷取得分四三万六〇〇〇分の二五万八五四四と原告主張に近い比率で大筋において合意に達していた。その時作成された右内容の分割協定書には別所代表の谷口千太郎と東貞一郎も押印指印を行つているのである。

(四) 明治以前の土地に対する権利関係は利用権を中心に考えられており、住民にとつて所有権意識は利用意識の中に包摂されていたといえる。従つて理論的に収益の分配割合と所有権の持分割合とは形影相伴うものであり、前記(二)の収益分配割合と持分割合とが同じ比率と考えるのが自然である。

5  本件訴え提起の時である昭和四七年一二月一一日における兎田町内会の管理委員は原告中野、同山下及び同中の三名であり、上之郷町内会の管理委員は中道光則、重里忠夫及び昼馬正の三名であつた。右のうち中道は昭和五五年一〇月二日死亡し後任として川口正義が就任した。その後昭和六〇年四月一日に重里、昼馬及び川口が上之郷町内会の管理委員を辞任したので、同日原告桶谷、同奥及び同馬場の三名が新たに上之郷町内会の管理委員に就任した。

6  本件土地について、昭和三四年八月一五日に別所、兎田及び上之郷三部落(泉南郡泉南町別所、同町兎田及び泉佐野市上之郷)の共有保存登記がなされたうえ、昭和三九年三月一〇日に大阪法務局尾崎出張所受付第一五七二号をもつて昭和三〇年二月二二日売買を原因とする泉南郡泉南町別所から東重次に対する共有持分三分の一の移転登記がなされている。

部落自体には登記能力がないので、右は保存登記自体無効な登記であるが、仮にこれが有効であるとしても、入会慣習上本件土地を共有する各村が単独でその共有持分を譲渡することは許されないから、右別所から東に対する移転登記は入会慣習に反して無効である。また、仮に東の共有持分を認めるとしてもそれは別所町内会の構成員の持分である四三六分の五七であるべきなのに、右移転登記は民法二五〇条の推定規定を悪用した持分三分の一の登記であり、別所町内会の構成員の持分を一三〇八分の二六五だけ超過しており、そのため兎田及び上之郷両町内会の構成員の共有持分合計四三六分の三七九を一三〇八分の二六五だけ侵害しているので、兎田及び上之郷両町内会の構成員らには右登記の更正を求める権利があるが、不動産登記法の不備により町内会自体には登記能力が無いので、右各町内会の代表者である原告らは右各町内会の構成員らに代わつて、直接更正登記手続を求めることができるものと解すべきである。

7  東重次は昭和五八年二月五日死亡し、被告らが相続した。

8  よつて、原告らは、被告らに対し、権利能力なき社団で入会団体である上之郷及び兎田各町内会の代表者として、本件土地の合計四三六分の三七九の共有持分を有する右各町内会の構成員らに代わつて、被告らに対し、右の昭和三〇年二月二二日売買を原因とする泉南郡泉南町別所から東重次に対する共有持分移転登記を、東重次の共有持分を四三六分の五七とする共有持分移転登記に更正する登記手続をすることを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は否認する。兎田、上之郷各町内会は権利能力なき社団ではない。

2  同2の事実は否認する。

3  同3(一)の事実のうち本件土地が別所村及び兎田村の入会地だつたことは認めるが、その余の事実は否認する。

江戸時代においては本件土地は徳川幕府の所領するいわゆる天領の地であつたが、別所村及び兎田村の住民が天領の民だつたのに対して上之郷村は岸和田藩の所領地の中にあつた。当時農民には移転の自由は認められておらず、通行手形なき限り他領への出入りは認められなかつたのであるから、岸和田藩に属していた上之郷村の農民が本件土地に自由に立ち入れた筈がなく、本件土地に対し、何等かの権利を持ちえた筈がない。従つて本件土地は別所村及び兎田村の二か村のみの入会山であつたのである。

同3(二)の事実は否認する。

同3(三)の事実のうち各村から管理委員が選任されていたことは認めるが、その職務内容及び人数は否認し、その余の事実は知らない。

同3(四)の事実は否認する。

4  同4の事実は否認する。

5  同5の事実は知らない。

6  同6前段の事実は認めるが、後段の主張は争う。

7  同7の事実は認める。

三  被告らの主張

1  本案前の主張

原告らは権利能力なき社団である兎田及び上之郷各町内会の代表者として本件訴訟追行権を有すると主張するが、右各町内会は権利能力なき社団ではないので、原告らには本件訴訟追行権はなく、原告らは本件訴訟につき当事者適格を有しない。

権利能力なき社団として認められるためには「団体としての組織をそなえ、多数決の原則が行われ、構成員の変更にかかわらず団体が存続し、その組織において代表の方法、総会の運営、財産の管理等団体としての主要な点が確定していることを要する。」(最高裁第一小法廷昭和三九年一〇月一五日判決民集一八巻八号一六七一頁)とされている。

ところが、原告らの主張する兎田及び上之郷町内会はその構成員も特定されておらず、団体としての組織が確立されていないし、上之郷町内会の管理委員はその定数が定まつておらず、代表の方法が確定していない。

従つて、兎田及び上之郷町内会は権利能力なき社団ではない。

2  本案の主張

別所村の住民らは従来本件土地につき三分の一の共有持分を有していたところ、東重次は売買によりこれを譲り受けた。

本件土地の地券には所有者として別所村、兎田村、上之郷村が併記されているのみであり、各村の持分について何ら記載がなく、共有者の持分は均等と推定される(民法二五〇条)ことから、別所村の持分が三分の一であつたことは当然である。

本件土地周辺の土地について見ても、本件土地に隣接して存在する七か村共有の山林(泉南市新家五〇三三番一及び二)は、登記簿上右七か村の共有持分は各村七分の一ずつとなつていて、権利割合をめぐる紛争は生じていない。また、泉南市別所六二四番一、二及び同所六二五番の土地は、従来別所村及び兎田村の二か村住民の共有山であつたところ、別所村住民である東重次の同意なくして訴外泉州土地株式会社に売却されたため、東と泉州土地との間で争いになり、昭和四五年四月三日に佐野簡易裁判所において和解が成立したが、右和解の内容は右二か村の持分割合が均等であることを前提としている。

原告らの主張は、共有持分の割合と収益の分配割合とを混同している。原告らの主張は、要するに本件土地に対する各村の持分割合は各村の戸数を基準とすべきだということに尽きるが、かかる主張は理論的に破綻していることが明白であつて、到底容認されるものではない。まず、原告らの主張によれば、各村の持分の割合は、各村の戸数が変化するにつれて何らの物権変動なく絶えず変化、浮動し続けることになるが、このような論理は現行法上容認され得ないものである。また、原告らの主張する持分割合は原告ら主張の明治四二年頃の各村の戸数の割合とは大幅にかけ離れており、この点からしても原告らの主張が理論上破綻していることは歴然としている。

第三  証拠<省略>

理由

第一被告らは、原告らには本件訴訟の当事者としての適格がない旨主張するので、この点につき判断する。

一<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1  兎田町内会は、大阪府泉南市兎田部落の住民のうち同部落の入会地に対し入会権を有する者を構成員とし、その構成員全員により右入会地を共同所有しつつ、慣習の規制の下に共同して右入会地の管理等を為すことを目的として組織された法人格を有しない団体である。同町内会の慣習によれば、同町内会は毎年一月二日に開催される「初壇会」と称する定例総会において構成員全員の互選により選任される管理委員三名(任期三年)を代表者とし、同町内会の構成員らの共同所有財産である前記入会地は右管理委員がこれを管理し、右入会地に生成する立木、まつたけ等の売却、同土地への植林等の業務を執行している。

2  上之郷町内会は、大阪府泉佐野市上之郷部落の住民のうち同部落の入会地に対し入会権を有する者を構成員とし、その構成員全員により右入会地を共同所有しつつ、慣習の規制の下に共同して右入会地の管理等を為すことを目的として組織された法人格を有しない団体である。同町内会の慣習によれば、同町内会は毎年四月二九日に開催される定例総会において構成員全員の互選により選任される管理委員三名(任期一年)を代表者とし、同町内会の構成員の共同所有財産である前記入会地は右管理委員がこれを管理し、右入会地に生成する立木、まつたけ等の売却、同土地への植林等の業務を執行している。

3  右各部落の住民のうち入会地に対し入会権を有する者は、原則として明治時代以来当該部落に居住している住民で、かつ当該部落内において一戸を構える世帯主たる者に限られる。従つて従来入会権を有していなかつた者も分家によつて世帯主となれば新たに入会権を取得して右各町内会の構成員となるし、反面右各部落から転出して当該部落に居住しなくなつた者は入会権を喪失して同時に右各町内会の構成員たる資格を失つてしまう。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば兎田町内会及び上之郷町内会はいずれも管理委員を代表者とする入会団体であり、かつ権利能力なき社団であると認められる。被告らは、右各町内会は構成員が特定されていず、団体としての組織が確立していないと主張し、<証拠>によれば、昭和五五年一月における上之郷町内会の構成員四八一名中には、明治四二年一〇月六日における上之郷村の世帯主たる住民全三一一名とは名字の異なつた者が一〇数名いること、右の者らはいずれも相当長期間上之郷部落に居住していることが認められ、右事実によれば、上之郷部落には、前記認定の原則以外に、ある程度以上の長期間同部落に居住すれば同部落の入会地に対し入会権を取得する旨の慣習があることが推認されるけれども、同町内会の構成員自体は同部落の入会地に対し入会権を有する者として特定されているのであつて、右の事実をもつて同町内会の団体としての組織が確立されていないということはできない。また、被告らは上之郷町内会の管理委員は定数が定まつておらず同町内会の代表の方法は確立されていない旨主張し、<証拠>によれば、同町内会の管理委員の定数はかつては四名だつたことが認められるけれども、前記認定の通り同町内会の管理委員は現在は三名と定まつており、右三名の者が同町内会を代表することが確定しているのであるから、過去において、これと異なつた定めのなされていたことがあるからといつて同町内会の代表の方法が確立されていないということはできない。

二<証拠>を総合すれば、本件訴えの提起された昭和四七年一二月一一日当時の兎田町内会の管理委員は原告中野、同山下及び同中の三名であり、上之郷町内会の管理委員は中道光則、重里忠夫及び昼馬正の三名であつたこと、昭和五五年一〇月二日に右中道が死亡したのでその後任として川口正義が上之郷町内会の管理委員に選任されたこと、その後右重里、昼馬及び川口の三名が上之郷町内会の管理委員を辞任したので、昭和六〇年四月一日に原告桶谷、同奥及び同馬場の三名が新たに上之郷町内会の管理委員に選任されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三そこで、入会団体でありかつ権利能力なき社団である兎田及び上之郷各町内会の代表者である原告らが、右各町内会の構成員らの共同して有する入会地たる本件土地の共有持分に基づいて被告らに対し本件土地の共有持分移転登記の更正登記手続を求める本件訴訟につき、当事者たる適格を有するか否かにつき考察する。

入会団体の構成員が入会地盤を共同所有する場合には、当該入会地に対する入会権は共有の性質を有する入会権であつて、当該入会地の所有権または共有持分は当該入会団体の構成員全員に総有的に帰属するものと考えられるので、右所有権または共有持分に基づいて発生する登記請求権もまた右入会団体構成員全員に総有的に帰属すべきものと考えられる。従つて本来的には右登記請求権は入会団体構成員全員が共同して行使すべきものであると解される。しかし、常にこれを構成員全員が共同して行使しなければならないとするのは実際上極めて煩瑣であるうえ、不動産登記法上右のような総有的所有関係を公示する登記方法が準備されていないので実務上入会団体の代表者個人を登記名義人とする登記をもつて右総有的所有関係を公示することが行われていることを併せ考えれば、入会慣習上当該入会団体の代表者が構成員らの総有に属する入会地を管理する権限を有する場合には、当該入会団体構成員全員に総有的に帰属する登記請求権は、右入会団体の代表者個人が、入会団体構成員全員から委託された財産管理権限に基づき、自己の名においてこれを行使し、訴訟を追行することができるものと解するのが相当である。このように解すれば、入会団体の代表者が自らの名において登記手続請求訴訟を提起することは一種の訴訟担当であると考えられるけれども、右代表者の訴訟行為は民事訴訟法上の弁護士代理の原則を回避し、または訴訟行為をなさしめることを主たる目的とする信託を禁止している信託法一一条の制限を潜脱するものとはいえないし、前述のとおり高度の必要性を有しているのであるから、これを許容するに妨げないと解すべきである(事案は異るが、最高裁大法廷昭和四五年一一月一一日判決民集二四巻一二号一八五四頁参照)。

そこでこれを本件について見るに、本件訴訟は、入会団体である兎田及び上之郷各町内会の構成員らが入会地たる本件土地に対して各々共同して有する共有の性質を有する入会権たる共有持分に基づき、本件土地につき更正登記手続を請求する訴訟であるところ、前記一及び二認定の事実によれば、原告中野、同山下及び同中の三名は兎田町内会の代表者であり慣習上同町内会の構成員らの総有に属する入会地を管理する権限を有しており、原告桶谷、同奥及び同馬場の三名は上之郷町内会の代表者であり慣習上同町内会の構成員らの総有に属する入会地を管理する権限を有しているのであるから、原告らには、入会団体たる右各町内会の構成員らから委託された本件土地の管理権限に基づき、本件訴訟の当事者たる適格があるというべきである。

第二次に、原告らの請求につき判断する。

一まず、本件土地が誰の所有に属するものであるかにつき判断する。

1  <証拠>を総合すれば、本件土地は、明治初年頃以前より別所村(現別所部落)、兎田村(現兎田部落)及び上之郷村(現上之郷部落)の三部落住民による入会地であり、遅くとも明治四二年頃には右三部落の住民(但し、部落内において一戸を構える世帯主たる者に限る。以下同じ。)全員の合意により「共有山取締申合規約」なる規約を設け、右住民らは右規約及び慣習の規制の下に本件土地に自由に立ち入つて雑木、下草等を採取していたこと、更に各部落の住民らは各々その総会において管理委員を選任し、右管理委員らは各々各部落固有の他の入会地を管理するほか共同して本件土地を管理し、本件土地に生成する立木、まつたけ等を売却し、本件土地に対し植林を行う等の業務を執行していたこと、明治初年頃に明治政府から右管理委員らに交付された本件土地の地券には、本件土地の共同所有者として「別所村、兎田村、上之郷村」と記載され、本件土地の土地台帳には本件土地の共同所有者として「大字別所、大字兎田、上之郷村」と記載されていること、本件土地の地租又は固定資産税は右管理委員らが立木売却代金等の本件土地から得られる収益の中から支出して納入していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  右認定の事実によれば、本件土地は、遅くとも明治初年頃には別所、兎田及び上之郷三部落の住民らが共有の性質を有する入会権をもつ入会地となり、本件土地の所有権は右三部落の住民らに総有的に帰属するに至つたものであると認められる。

3  この点につき、本件土地につき昭和三四年八月一五日に現別所部落である泉南郡泉南町別所、現兎田部落である同町兎田及び泉佐野市上之郷を共有者とする保存登記が経由されていることは当事者間に争いがなく、権利能力なき社団は不動産登記簿上の権利の名義人となる資格がないと解すべきであるから、右のような登記は、右三部落自体が法人格を有しかつ本件土地を共同所有していることを前提としてなされているものと思われる。そして、市町村の一部である部落が法人格を有する場合には明治二一年法律第一号町村制一一四条(明治四四年法律第六九号による改正後は同法一二四条)に規定する公法人たる「町村の一部」として法人格を取得し、同法廃止後も地方自治法二九四条一項により特別地方公共団体たる財産区として法人格を維持している場合と同法施行後に同条項の規定により財産区として法人格を取得した場合との二とおりしかないので、右保存登記は財産区としての右三部落を登記名義人とする登記であると解するほかない。しかし、前記1で認定したところによれば、本件土地については一貫して右三部落の住民らによつて選出された管理委員がこれを管理し、本件土地の地租又は固定資産税も右管理委員がこれを納入していたことが認められ(なお、地方税法によれば財産区財産は非課税である。)他方本件土地を財産区管理人たる市町村長が管理したことを窮わせる証拠はないので、右のような登記の存在は前記2の認定の妨げとはならない。

二そこで進んで、別所、兎田及び上之郷三部落の住民らの本件土地に対する共有の形態について判断する。

前記一1認定の事実によれば、本件土地は右三部落住民による入会地であり、数部落の住民が共同して入会を行うところのいわゆる数村入会地であつたものと認められるところ、前記一1及び後記三1ないし5で認定した右三部落住民は本件土地に対して各別に管理委員を選任し、右各管理委員は本件土地以外の自己の所属する各部落固有の他の入会地の管理も行つていたこと、本件土地の立木売却の収益は各部落の管理委員に分配された後に各部落における諸費用等を控除して各部落住民に分配されていたこと、右部落管理委員に対する収益の分配割合は各部落住民の数の変動にかかわらず一定であつたことの各事実を総合すれば、本件土地の所有権は、直接右三部落住民らに総有的に帰属するものではなく、右三部落住民らが各部落住民ら毎に共有持分を有し、各部落住民らに各々の共有持分が総有的に帰属する関係にあつたものと解するのが相当である。

三次いで、右三部落住民らの共有持分の割合について検討する。

<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1  別所、兎田、上之郷三部落の管理委員らは、大正七年五月二日に本件土地上の立木の一部を伐採してこれを売却し、代金五五一二円から本件土地管理のための諸費用等を控除した残金五二八二円九四銭を右三部落の管理委員に分配したが、その際兎田部落の管理委員には右金額の四三六分の九三を分配するとして一一二六円七八銭を交付した。兎田部落の管理委員は、右取得金から同部落における諸費用等を控除した残金七六〇円を当時同部落に在住した七八戸に分配した。

2  更に右三部落の管理委員らは、大正九年一月二七日にも本件土地上の立木の一部を伐採してこれを売却し、代金二万〇一五三円から伐採跡地への植林費用等を控除した残金一万八五四六円四〇銭を右三部落の管理委員に分配したが、その際兎田部落の管理委員には右金額の四三六分の九三を分配するとして三九六一円八〇銭を交付した。兎田部落の管理委員は、右取得金から同部落における諸費用等を控除した残金三八〇〇円五〇銭を当時同部落に在住した七九戸に分配した。

3  兎田及び上之郷部落の管理委員らは、昭和三五年二月二〇日にも本件土地上の立木の一部を伐採してこれを売却し、同年四月七日に代金九七二万六〇〇〇円から伐採跡地への植林費用等を控除した残金七八四万八〇〇〇円について、その四三六分の九三に相当する一六七万四〇〇〇円を兎田部落の管理委員に、四三六分の二八六に相当する五一四万八〇〇〇円を上之郷部落の管理委員に分配し、四三六分の五七に相当する一〇二万六〇〇〇円については、同年七月六日に、別所部落の住民らから本件土地の別所持分を譲り受けたと称する東重次に対して交付した。

4  本件土地からの収益は、右三部落の住民らに対し、別所五七、兎田九三、上之郷二八六の割合で分配するのが古くからの慣行であり、右割合は明治初年頃に定まつたものであつた。

5  右三部落の管理委員らは、本件土地の管理に要する費用や本件土地の地租又は固定資産税は、総て本件土地からの収益の中から支出しており、右費用等を右三部落住民らに負担させたことは無かつた(但し、本件紛争発生後は、東重次又は被告東重弘が固定資産税を支払つている。)。

6  昭和五年頃に、本件土地を右三部落で分割することが話し合われ、同年一二月二八日に一旦は右三部落の代表委員らにより「協定書」と題する書面が作成されるに至つた。右協定書によれば本件土地を別所部落四三万六〇〇〇分の九万三三八四、兎田部落四三万六〇〇〇分の八万四〇七二、上之郷部落四三万六〇〇〇分の二五万八五四四の割合により分割し、具体的分割方法及び各部落の取得する土地の位置の決定は大阪府に一任することとされている。右協定書には別所部落代表委員として谷口千太郎が記名押印、東貞一郎(同人は被告ら被承継人東重次の父である。)が記名指印し、兎田部落代表委員山下卯之助、上之郷部落代表委員角谷義之助、同射手矢亀太郎、同古谷登馬三が記名指印しているほか、当時別所及び兎田部落の属していた新家村の村長田中三郎兵衛、現上之郷部落である上之郷村の村長中谷藤吉、立会人として大阪府技手稲葉増吉が署名押印している。但し右協定書に基づく本件土地の分割は具体的分割方法において各部落が対立したので実現するには至らなかつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証人東重弘の供述部分は前掲各証拠に対比すると採用することができず、他に右認定に反する証拠はない。

右認定の事実を総合すれば、別所、兎田及び上之郷部落の管理委員らが取得した本件土地の収益は、これから本件土地管理の費用や地租又は固定資産税を控除した後に、三部落の住民らに対し別所五七、兎田九三、上之郷二八六の割合で分配することが遅くとも明治初年頃以来確定した慣行であつたことが認められる。

ところで、数村入会において、当該入会地の収益を各部落住民らに分配し、費用を右各部落住民に負担させる割合が入会慣行上一定している場合には、各部落住民らの有する右入会地に対する共有持分の割合は、特段の事情のない限り右収益分配の割合と一致するものと解するのが相当である。被告らは、収益分配の割合と共有持分の割合とは全く別個の問題であると主張する。しかし、民法上共有物の使用収益の取得及びその管理費用負担の各割合は、原則としてその持分の割合に対応することになつているばかりか、各地方の慣習に従うべき入会権は、本来使用収益を主たる目的とする権利であつて、数村入会において入会慣行上各村の使用収益の割合が定まつている場合には、これをもつて各村の保有する入会権の割合であると意識されてきたものと考えられるから、観念的な地盤所有権の持分割合もまた、右使用収益の割合に従うものと解するのが妥当である。

そこでこれを本件について見るに、前記認定のとおり、本件土地の収益はその中から費用を控除したうえ別所五七、兎田九三、上之郷二八六の割合で分配することが慣行であり、右割合は遅くとも明治初年頃から入会慣行上一定していたというのであり、他方右割合と異なつた持分割合を認めるべき特段の事情の存在を示す証拠はないから、別所部落の住民の有した本件土地の共有持分は四三六分の五七であり、入会団体である兎田町内会の構成員らの有する本件土地の共有持分は四三六分の九三であり、上之郷町内会の構成員らの有する本件土地の共有持分は四三六分の二八六であると解することができる。

四本件土地について、昭和三四年八月一五日に泉南郡泉南町別所、同町兎田及び泉佐野市上之郷の共有保存登記がなされたうえ、昭和三九年三月一〇日に大阪地方法務局尾崎出張所受付第一五七二号をもつて昭和三〇年二月二二日売買を原因とする右別所から東重次に対する共有持分三分の一の移転登記がなされていること、東重次が昭和五八年二月五日に死亡して被告らがこれを相続したことは、いずれも当事者間に争いがない。

五以上の事実によれば、泉南市泉南町別所から東重次に対する右移転登記は、別所部落住民らの本件土地に対する持分四三六分の五七を一三〇八分の二六五だけ超えており、少なくともこの範囲において右登記が実体に合致せず、兎田及び上之郷各町内会の構成員らの持分を侵害しているものであることは明らかであるから、原告らの請求は理由がある。

第三よつて、原告らの請求を認容し、訴訟費用の裁判につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官河田 貢 裁判官 浅野秀樹 裁判官長井秀典)

物件目録

大阪府泉南市別所六七一番

山林 八三三〇五平方メートル

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